まねできない純粋さ
甥っ子と会い同じ時間を過ごした時に感じた事です。
部屋の中でサッカーのPK合戦を行なった時の
会話のやりとりを書いてみたいと思います。
甥っ子(キーパー) 「どっちに蹴るの?」
私 (キッカー) 「右!」(正確にはこっちと指を差している)
このたった一言で、甥っ子は右に蹴るという事に一切の疑いをもたず
ボールを取ろうと集中しているのです。
大人である私は、当然逆側の左に蹴りゴールを決めるわけです。
そうすると甥っ子は 「こっち(右)っていったじゃん!」とムキになって
私に突っかかってきます。
私は 「じゃ今度は右に蹴るね!」と伝えます。
甥っ子は、またまた一切の疑いをもたず右側に集中しているのです。
そして大人で私は再度逆に蹴りゴールを決めるのです。
このようなやり取りが4・5回続いたでしょうか。
結果はすべて同じです。
大人である私達であれば、駆け引きというものが身に沁みています。
身に沁みている分、いろいろな迷いも出てきます。
子供(甥っ子)は違います。一切の迷いがないのです。
それはなぜなのか? このような考えがあります。
私達、大人は生まれてから、
沢山の気を融合しながら現在に至っております。
長い時間を生きているという事は、
いろいろな気が混在している状態と捉える事ができます。
反対に子供は、生きている時間が短いわけですから、
気の融合が少ないと捉えられます。
どちらがいいというものではなく、こういうものなのです。
このような事から、表面上では子供と同じような感じに見ようとしても、
全くの別物であり、まねできないものと考えております。
ここで一つ質問です。
あなたはどのような時に迷いが生じるでしょうか?
迷いの発生源を見つけて生きたいという方は
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